刑事裁判と民事裁判


刑事裁判


1992年11月4日、米ルイジアナ州東バトンルージュ郡大陪審(12人の陪審員

が審議)はロドニー・ピアーズ容疑者を傷害致死罪(計画性のない殺人罪、マ

ンスローター)で起訴した。同年12月16日被告は罪状認否で無罪を主張、陪

審制度を望んだため、「計画性のない殺人」について有罪か無罪かを審議す

るための12人陪審の刑事裁判(小陪審)が開かれる事となった。1993年5月

17日小陪審開始、5月23日、全員一致の無罪評決が出て、被告のピアーズ

氏の行為は正当防衛として片づけられた。最終弁論で被告弁護士は「玄関

のベルが鳴ったなら誰にたいしてでも、銃を手にドアを開けることが出来る法

的権利がある。それがこの国の法律だ。」と語った。刑事裁判については、

「フリーズ」(平義克己、ティム・タリー)、「アメリカを愛した少年」(賀茂美則)

の両書に詳しい。


民事裁判


1993年7月13日、両親を原告とし、東バトンルージュ郡裁判所民事部に提訴

した。被告はピアーズ夫妻と被告が契約していた保険会社。裁判は原告、被

告どちらかが陪審員預託金をはらいこめば陪審裁判になる。両親側の弁護

士が一計を案じ、陪審裁判を請求したまま、預託金をわざと払い込まなかっ

た。被告側の弁護士が気付いた時にはすでに支払期限を過ぎており、被告

側のアピールも認められずに判事裁判になったといういきさつがある。


1994年9月12日に裁判開始。両親は始めて現地で証言できた。9月15日

損害賠償金65.3万ドルで勝訴。判決は、剛丈の様子に身の危険を感じたと

いうピアーズ氏の主張を退け、銃の使用に特別の注意が必要だと定めてい

るルイジアナ州法に反した行為だと判断した。また銃を構えたピアーズ氏の

ほうに近寄っていった剛丈の行動については「落ち度はなかった。」とした。

両親は、剛丈をみて夫に「銃を持ってきて。」と叫んボニー夫人の責任を追及

していたが判決は夫人に銃撃の責任はないとした。いきなり銃を発射したピ

アーズ氏の行動については、分別のある人間であれば「どうして銃が必要な

のか何が見えたのか。」聞くはずだとして、正当防衛は認められないとした。

映画「世界中に轟いた銃声」に民事裁判のいきさつは詳しい。